会長あいさつ

平成28年7月の埼玉県小児科医会総会で羽鳥雅之前会長の後を引き継ぎ会長職を拝命いたしました。初代会長中村泰三先生、二代目羽鳥先生には長きにわたり率いていただき心から感謝いたします。前任の先生方が大きな功績を残され、その重責に身が引き締まる思いでおります。何卒会員の先生方には御支援御指導をよろしくお願いいたします。

私ごとですがさいたま市で開業して17年経ちましたが、その間に小児の医療事情は大きく変わりました。開院当初は小学校の朝の通学班は数珠つなぎで途切れることはありませんでしたが、昨今はパラパラと姿が見える程度です。少子化が最たる理由でしょうが、埼玉県では若年層や小児の偏在化が目立っており、都市部と周辺部の人口の差に著しいものがあります。加えて交通網の整備と高速化が進み都心へ通勤通学が便利な沿線にマンションが林立して、そのため小児の人口密度がきわめて高い地域があります。いずれこの地域のこどもたちも成長し巣立っていくでしょうし、急激な人口増加はかえって将来の過疎化を危惧されるところでもあります。

そんな中で小児科医のなすべき仕事も変化しつつあります。従来の感染症対応の医療の需要は減り、新たに社会的な問題に取り組んでいく必要性が出てきました。日常診療の中心が予防接種や感染症の治療であることに変わりはありませんが、これまでは気がつかなかった、あるいはそれほど重要とは認識されなかったこどもたちの不具合にも丁寧に対応しようという意識が小児科医の中では生まれてきました。虐待やいじめなどは以前から存在していましたが、最近親や社会から十分な愛情を与えられないため豊かな感性が育たずに制御不可能になった例が多く見られます。

これはこどもに限ったことではなく大人にも同様の傾向が見られ、いい歳をした熟年者が何を考えているのかと思える事件も目にします。気がつかないうちに経済格差が拡がり貧困家庭が生まれ、そのため適切な育児や教育環境を受けられなかったケースも見られます。経済的には豊かになり、生活が便利になって快適な日々が送れるようになったはずなのに不都合が次々に出てきます。大人も日々の達成感が少なくなってきたのかもしれません。そんな大人の心を反映しているのでしょうか、こどもらしいあっけらかんとした子が少なくなっているような気がしてなりません。

そんな中でこれからの小児医療の新しい課題について考えてみます。こどもの数が少なくなり予防接種の充実で重症感染症が激減、また悪性疾患や慢性疾患の治療が功を奏し生命的予後が改善したことで、病気が克服されたあとにも良質なQOLを保つための社会の理解と支援が必要になっています。長い間開業をしていると生まれて間もなくから診てきた近所のお子さんが突然重大な病気にかかる事態に遭遇します。家族は卒倒するほど驚き、この世の終わりかとも感じて悲嘆します。その後、冷静に受け止められるようになって、病気との闘いが始まり最近の治療法の進歩と周りの人たちの強い思いと相まって多くの病気は良い方向に向かいます。そして、たとえ完治しない場合でも日常生活が再び始まります。学校生活や進学、就職など挑戦しなければことも次々と待っており、そこから本当の闘いが始まります。勤務医時代には病気そのものを乗り越えて退院すればほぼ終了したと思っていましたが、実際はこれから長い期間再発しないかと心配しないかとびくびくしながら生きていきます。小児がんや腎臓病、心疾患、けいれん性疾患のみならず、発達障害や適応障害も同様です。そういう意味からも小児科医は病気のこどもたちの将来の生活にずっと寄り添っていかなければなりません。

その昔夜間救急患者の対応に忙殺され小児科勤務医が病院を立ち去るという時代が続きましたが、最近は地域自治体の時間外医療体制の整備や受診患者数の減少、重症度の低下などで労働条件も改善して少し余裕が出てきたと耳にします。一方、超低出生体重児が救命され、また以前は不幸な転帰をとっていた患者が助かるようになって、退院後も手厚い医療ケアが必要なこどもたちが増えています。そんな中、現在小児の在宅医療体制の整備が検討されています。成人のそれと異なり、この先何年続くか知れない長期戦に小児科医としてどう携わるか、答えのない問題にどのように取り組んでいくか大きな覚悟が必要です。いずれにせよ小児医療は病院や診療所で病気のこどもを待っているだけの時代ではなくなりつつあります。これから小児科医として現場に立とうとする若い医師や医学生がこの点を理解して研鑽を積めるように早急にしくみを作っていく努力が必要といえます。

さて就任のあいさつはこれくらいにして、最近とみに感じることがあります。町でこどもたちが遊びまわっている姿を見なくなりました。確かに週末に解放された小学校の校庭ではユニフォーム姿のサッカーや野球少年団の学童が高いテクニックでプレーをしています。中学生は部活動で修行のように土日も休まずに練習させられており、人によってはスイミングスクールや空手道場へ通って運動を行っています。公園の多くでは禁止事項が多くてもっぱらママに連れられた幼児たちばかりで、少年たちの遊ぶ余地はあまりありません。しかしながら考えると、それらはすべて大人の管理下におかれています。われわれの小さかったころはコンピューターやテレビゲームもなく遊びはとてもシンプルなもので、せいぜい野球盤か人生ゲームくらいのものでルールも簡単でした。それでも学校帰りに友だちの家に寄り道をして夢中で遊んだものです。野球(ソフトボールでしたが)をするのもグローブは1チーム分しかなく交代で守備側が使用し、人数も今いる数を二等分して始め、後から参加するものはその都度つけ加えるという柔軟なものでした。上手も下手も公平に参加しました。今日は何をして遊ぶのかなと思っていると誰かが何々をしようと提案し自然に決まり必ず日が暮れるまで遊びにふけりました。そういえば、小学校のころは運動場にやかんの水で線を引いてさまざまな遊びを作りました。棒で円を描き相撲を取ったり、帽子のつばの方向で三すくみの役目を決めて大将取りをするゲームもありました。誰が初めに考えたのか、今思うと原価ゼロで製作能力は天才的なものでした。体と体を接する遊びも多く、直接押したり引いたりすることで他人との体格差や力関係を肌で感じることができ自分の能力や立ち位置を確かめることもできました。最近は大人ももこどもも他人との接点を作ることが面倒で個人志向になっています。確かに電話や電子メールは瞬く間に人々の交友関係を拡げました。ただこれ以後のインターネットやSNSの出現は顔の見えない情報交換を可能にし、個性なく打ち出されてくる機械的な文字では顔色や気持ちを窺えなくなってきました。まさに文明の利器は人の心の機微を奪ってしまうのかという思いです。私自身、のちに団塊の世代と呼ばれるほどこどもたちにあふれていた時代ではありましたが、ものが少なかった分、おもしろいことがないか必死に探していて、余計に楽しく感じられたのかもしれません。大切なことは現場ではこどもたち自身の責任でもって、その結果を解釈し完結していたことです。

首都圏4都県で国全体の4分の1の人口が集まった現在、道路はアスファルトで舗装され土や草のにおいがなくなって、道は遊ぶのには危険がいっぱいの場所になりました。おのずから行動は屋内に向かうことが多くなります。たまにアウトドアで遊ぶときはキャンプや山登りなど親と一緒です。もちろん皆が行けるわけではありませんので外で遊ぶことは特別なことになってきたようです。以前は多くのこどもには「いなか」がありました。夏休みや年末年始は「いなか」のおばあちゃん家で1週間過ごすという子もいました。両親や祖父母が地方の出身で自分の郷里に連れて行ってくれました。そこは何日居てもお金もかからず、親戚のいとこたちが集まり、お兄ちゃんたちは山や川や海に案内してくれ自然に触れることができました。「いなか」は人の作り出すことのできない偉大でやさしい世界を教えてくれました。ところが現在の親の世代は首都圏生まれ育ちが多くなり、おばあちゃん家は埼玉、東京など近県にあり、休みも自宅近辺で過ごして2,3日の旅行を家族と過ごすという子が多いようです。普段遊ぶテレビゲームはきわめて短時間で結果が出てしまい、その結果はあとにはまったく残らない遊びばかりです。大人の世界ですでに活字離れが起きている現在、集中して本を読み、さまざまな体験を通じて見分を広め、こどもたちの知的好奇心を刺激する楽しみがないかと探してみますが、なかなか見つかりません。学校でだけではなくもう少しこどもたちが夢中になるような育て方を大人たちが研究していかなければならないと思います。

今、学校ではいじめも大きな問題になっています。これは大人の社会にも昔から存在しています。他人に意地悪をすることで若干の優越感をもつのでしょうが、ただいじめられる側に立たなくするためいじめる側に回るのはあまりにも悲しいことです。いじめる方も心のどこかに痛みを感じているのでしょうが、なかなか抜け出ることができないのでしょう、きっとどちらも心の中で涙を流しているのでしょう。私たちの幼いころは算数の成績がいい、絵が上手、足が速いとか歌がうまいとか何かしらそれぞれの個人の持つ特長を評価し尊敬し合い、そのために皆心地よい居場所が与えられていました。普段の生活の中でお互いの尊厳を大切にしていたように思えます。

小児科医会は元来心根のやさしいお医者さんの集まりです。そしてこどもたちの将来を見据えすべてのこどもが穏やかな気持ちで誇りを持って一生を送れることを目指しています。わが子、わが孫を見つめるがごとく愛情あふれる医会活動を今後も行っていきたいと思います。なすべきことは山積していますが、こどもたちのこれからのために会員の先生方とともに残りの小児科医生活を送りたいと思います。