沿革
昭和25年4月23日(1950) | 埼玉県医師会内科小児科医会創立総会(於:大宮赤十字病院) 会長:仲田一信 副会長:今井忠次郎、河野秀文 毎年1回総会、学術講演会 年会費500円 |
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昭和30年~37年(1960~1962) | 内科小児科医会の事業が中断 |
昭和38年(1963) | 内科小児科医会の事業再開 会長:岩崎義治、年間2回学術講演会 開催 |
昭和38年11月16日(1963) | 日本小児科学会埼玉地方会設立 理事長:大宮赤十字病院副院長/今井忠次郎 |
昭和42年8月(1967) | 埼玉県立小児保健センター開設(森 彪 所長) |
昭和48年(1973) | 内科小児科医会の名称を埼玉県内科医会に変更 小児科医の拠点は埼玉地方会だけとなる |
昭和48年4月1日(1973) | 埼玉医科大学が誕生 小児科学教室が開設(中山喜弘教授、前田和一助教授) |
昭和50年7月(1975) | 防衛医科大学校病院開設 小児科学教室が開設(岩波文門教授、吉岡 重威助教授) |
昭和51年6月13日(1976) | 中山喜弘が日本小児科学会埼玉地方会の2代目会長に選出(6月総会) |
昭和52年5月15日(1977) | 埼玉県小児科医会設立(蕨市民会館)第28回日本小児科学会埼玉地方会学術集会の総会で承認) 医会会長は初代中山喜弘、2代皆川和、3代前田和一まで埼玉地方会会長が兼任 |
昭和56年2月(1981) | 会長 中山喜弘教授 逝去 |
昭和57年6月20日(1982) | 皆川 和 第3代地方会会長就任(医会会長兼務) |
昭和58年4月1日(1983) | 埼玉県立小児医療センター開設(初代病院長:森 彪) |
昭和59年5月18日(1984) | 日本小児科医会が設立 |
昭和59年6月17日(1984) | 前田和一(元虎ノ門病院小児科部長)第4代地方会会長就任(医会会長兼務) |
昭和59年6月(1984) | 獨協医科大学越谷病院開設 初代小児科教授:有泉基水、助教授:藤川 敏 |
昭和60年6月(1985) | 埼玉医科大学総合医療センター開設 初代小児科教授:小川雄之亮、助教授:神谷賢二 |
昭和60年9月(1985) | 小児科医認定制度確立 |
昭和62年(1987) | 関東ブロック小児科医会設立(会長:塙 賢二) |
平成元年6月18日(1989) | 医会会則の改訂(地方会と医会の役員組織を分離) 埼玉地方会第4代会長:前田和一 小児科医会(4代)会長:中村 泰三 |
平成1年4月(1989) | 北里研究所メジカルセンター病院開設(初代小児科部長:飯高喜久雄) |
平成2年9月(1990) | 浦和市の幼稚園で腸管出血性大腸菌感染(O-157)集団発生 |
平成2年10月(1990) | 第1回「こどもの健康週間」行事 子どもの健康相談(浦和市) |
平成4年11月15日(1992) | 森 彪 埼玉地方会第5代会長に選出 |
平成5年4月1日(1993) | 埼玉医大小児科教授に佐々木望 就任 |
平成5年4月30日(1993) | MMRワクチン事実上接種中止となる |
平成6年6月19日(1994) | 吉岡 重威 埼玉地方会第6代会長に選出 |
平成6年10月1日(1994) | 予防接種法抜本改正施行 |
平成7年1月17日(1995) | 阪神淡路大地震勃発 |
平成7年4月(1995) | 埼玉医学会小児科分科会学術集会を小児科学会認定集会として認定される(5点) |
平成9年5月1日(1997) | 獨協医科大学越谷病院小児科 永井敏郎教授 就任 |
平成10年4月(1998) | 防衛医科大学校小児科 関根勇夫教授 就任 |
平成10年6月7日(1998) | 有泉基水 埼玉地方会第7代会長に選出 |
平成10年6月26日(1998) | 埼玉県小児保健協会第3代会長に富田有祐が就任 初代 高木 泰(13年在任)、第2代 中村 泰三(13年在任) |
平成12年7月2日(2000) | 日本小児科学会埼玉地方会第100回記念学術集会 於:埼玉県県民健康センター |
平成12年7月2日(2000) | 小川雄之亮 埼玉地方会第8代会長に選出 |